2014年6月30日月曜日

芸術表象論特講#8

こんにちは。学校に住んでいるツバメの子どもが、ときどき巣から顔を出してこっちを見てます。
6月11日におこなわれました、「芸術表象論特講」8回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、編集者の今野裕一さんでした。



今野さんは、1978年に創立したペヨトル工房から『夜想』という雑誌を発行していました。ペヨトル工房は2000年に解散し、そのときに出版も休止しました。2003年にparabolica-bisから『夜想yaso』を復刊しました。現在も雑誌や書籍の刊行と、併設しているギャラリースペースでの企画展示などをおこなっています。

レクチャーでは『夜想』を中心に、今野さんのこれまでの活動についてお話していただきました。

『夜想』の始まりは、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグという小説家の奥さんで画家のボナ・ティベルテッリ・デ・ピシスが、日本の画廊で展覧会をするというので、特集を組んだ雑誌を作ったことなんだそうです。雑誌には番号を振っていないのは、続けるつもりが無かったからで、雑誌の格好をしたものを作ったら面白いかな・・・と思ったからとか。
雑誌を作り始めた頃、家庭教師をしてお金を稼いでいたという今野さん。雑誌を作るのに当時では150万ほどかかるところを、現金で持ち合わせていたというのは驚きです。雑誌は5000部作り、1年くらいで3500部を売り上げたため、お金が戻ってきた。そこから、どんどん自分がやりたかったことをやってみようと思い、ベルメールの特集、夢野久作、アルトーと進みます。

雑誌には、おまけとして人形をつけたり、カセットテープが付いている“カセットブック”を販売したり、寺山修司をプロデュースしてアルトーの演劇を作ったり、死体の写真を掲載したりと、当時としてはとても変わった雑誌だったようです。

『夜想』のバックナンバーは新しいクリエイター予備軍が読んでいたけれど、2000年くらいになったときに、そういうことがなくなって、『夜想』が古くなったのかどうかわからないけれど、読まれなくなったので今野さんはいったん雑誌の刊行を止めました。
そんなある日、新宿を歩いているとゴスロリの女の子たちが歩いているのに出くわします。彼女たちは当時あったマルイ館へ入っていきました。何をしているのか、演劇みたいだと思い見に行くと、お茶会をしていたそうです。その子たちが「ゴスロリ」と呼ばれる子たちだと教えてもらい、その後にいろいろ調べてみると、そういう格好してビジュアル系バンド(当時はMALICE MIZERとか)を見に行ってたりしていることがわかった。「ゴスロリ」の格好をしているけれど、このこたちはバンドとかの方に行っていて、『夜想』とかは読まないな・・・と思ったそうです。それでは、彼女たちが読むような雑誌を作ればいいのではないかと思い、復刊第1号はゴスを特集しました。「ゴス」「ゴシック」と言っているが、今の子は「ゴシック」を知らないのではないか、ちゃんと教えてあげなくてはという思いがあったそうです。でもそれは間違っていて「ゴス」と「ゴシック」はかなり異なっていました。今言っている「ロリータ」も、昔の「ロリータ」と関係しているような顔をしていて、実際には関係がなく、ファッショナブルは派生なのではないかとおっしゃいました。「ゴス」はそれで新しい文化がはじまっていて、「ゴシック」というのも一応は入っているけれど、「ゴシック」から繋がっていない「ゴス」というのも両方あえて作ったとのことでした。

もうひとつ、人形の特集も多く手がけているそうです。
ハンス・ベルメール(1902-1975、ドイツ)という球体関節人形を広めるきっかけになった作家がいます。現在の球体関節人形の作家たちに聞くと、ベルメールの影響を受けて作りましたという人が多いというけれど、ベルメールの著書を読んでいるのかと聞くとそうでもない。ベルメールの特集を『夜想』で組んでいるので、それを読んでいる人もいるけれど、本当にベルメールと球体関節人形は日本に影響を与えていて、それを受けて作家たちは作っているのかなと疑問に思ったそうです。そこで雑誌を使って調べてみたら、実際にベルメールを研究したり書籍を読んだりして制作している人はいなかったことがわかったのだそうです。
雑誌では、ベルメールはこうで、今はこうなっていますという提示だけではなく、みんなベルメールから影響を受けているというけれど、そうでもないのではないかと、作家へ喚起するようにしているそうです。

今野さんはこれまで、さまざまなことをしてきました。
アーティストの森村泰昌さんとは付き合いが長く、2年くらいパーフォーマンスの演出担当をされていたそうです。その他に、歌舞伎のプロデュースやモダンダンスの演出、勅使川原三郎のツアーサポートもしたことがあるそうです。

現在は、雑誌の制作の他にギャラリーの運営もされています。
雑誌もギャラリーも、インディペンデントとして運営していて誰の助けもなくやっているため、売って稼いではそのお金で運営を回す・・・ということをしているそうです。ギャラリーは5つの部屋に分かれており、正月休みを除けば、ほぼ無休状態で動かしています。月に5本の企画を12ヶ月おこなうと年間で60本の展覧会をしなくてはならず、ものすごく大変。けれど、変な話ですが今まで生きていて、今が一番仕事をしている感じがすると、今野さんはおっしゃっていました。

今野さんは、半分好奇心だけで生きているから『夜想』がどうなていくかプランを立てている訳ではなく、そのときの興味とかでやっているのだとおっしゃっていました。しかし、2003年から10年はサブカル的なシリーズを特集し、『夜想』も2003年以降はリニューアルをしており、死ぬまでにまた好きなことをしようかなとは思っているそうです。
雑誌を最初に作ったとき、作家の為になる雑誌を作ろうと思った。それは、批評家の人たちがああだこうだと言って作家が反論する場がなく言われっぱなしになっているので、反論できる雑誌があれば良いのにと思っていたからで、作家が自分の主張も含めて出来るような場所を作れたら面白いだろうと思っていたそうです。

あくまでも作家よりだとおっしゃっていた今野さん。その時代時代を汲み取りながら、現在はどうなのかと問い続ける姿勢が、雑誌などの活動に活かされているのではないでしょうか。まずは、今まで読んだことがあった学生もそうではなかった学生も、『夜想』を読んでみることで、またはギャラリーを尋ねてみることで、世界が広がっていくのではないでしょうか。


『夜想』やギャラリーの情報はこちら


それでは。

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