6月24日に行われた芸術表象論特講、今回のゲストはアーティストの中上清さんです。
1970年代から画家として活動されている中上さんは、横浜や東京を中心に毎年個展をおこなっており、2008年には神奈川県近代美術館(鎌倉)にて回顧展「絵画から湧く光」を開催されています。また第10回インド・トリエンナーレをはじめ、パリ、ニューヨーク、ソウル、ベルギーなど国外でも活躍されています。そして、1995年に日本画専門の美術館である山種美術館にて開催された「今日の日本画 第13回山種美術館賞展」では、カンヴァスにアクリル絵具で描く中上さんの作品が推薦されており、日本画という枠組みを巡り当時の議論に影響を与えたことでも有名です。
1970年代から画家として活動されている中上さんは、横浜や東京を中心に毎年個展をおこなっており、2008年には神奈川県近代美術館(鎌倉)にて回顧展「絵画から湧く光」を開催されています。また第10回インド・トリエンナーレをはじめ、パリ、ニューヨーク、ソウル、ベルギーなど国外でも活躍されています。そして、1995年に日本画専門の美術館である山種美術館にて開催された「今日の日本画 第13回山種美術館賞展」では、カンヴァスにアクリル絵具で描く中上さんの作品が推薦されており、日本画という枠組みを巡り当時の議論に影響を与えたことでも有名です。
「自分はあまり人に教えたことがなく、また教えられたこともあまりないので...」と冗談を交えながら始まったレクチャーでは、中上さんが初めて個展を開いた頃から近年に至るまで、40年にも及ぶ作品の流れや変遷について解説して頂きました。
中上さんは高校卒業後、1971年から横浜のBゼミ(現代美術ベーシック・ゼミナール)に通われており、その年の10月に富士見町アトリエにて初個展「中上清−−12の平面による−−」を開催し、作家としてデビューされています。
この最初の立体作品シリーズは、翌年に横浜市民ギャラリーで開かれた「EXHIBITION Bゼミ」にも継続されています。台形や三角形と枠のように伸びている部分は、元々およそ30㎝×90㎝の長方形であり、それを45°の角度で10㎝ずつ切り出して展開させているとのことです。
1974年のこの作品は、正方形を45°で斜めに切った形を反対に持ってきてあり、外形が内で繰り返すように構成されています。この頃は「面」というものは描くものなのか?置くものなのか?それとも作るものなのか?という意識があったと話されており、この作品は画面の中に「置く」意識の方が強くあったそうで、アルミパウダーを用いてシルクスクリーンで刷ったものが置かれていて、米国の作家フランク・ステラへの意識もあったと話されていました。
その後に中上さんは、斜めの線を繰り返し描いたドローイング作品を制作されています。1975年の横長の大きなドローイングは、アクリル板の裏側からダーマト(グリースペンシル)で描かれており、フレームとの関係を意識されています。
北澤先生からの補足によると、1975年という時代は「トランスアヴァンギャルディア」というアヴァンギャルドを否定して絵画や彫刻という歴史的なメディアを、そして人間の身体性を取り戻そうとする動きが出て来た頃であり、この辺りから世の中に「描く」というか「絵画」が前面に出て来たそうです。
1979年のこの作品は、カンヴァスを斜めに傾けて置かれ、そこに垂直線と水平線が引いてあり、そして更にそこから得られる幾つかの線が描かれています。当時なぜこのようなことをしていたかの理由として、中上さんは「ドローイングの作品もそうだったけれど、カンヴァスの中に形が描けなかったんだよね。作ることが中々出来なくて、端から追う。そういうようなことしか出来なかった。」と話されています。
その後、中上さんは画面を三分割した特徴的な構図のシリーズを継続して制作されています。この作品は隣同士が補色になるように色が選ばれており、60年代から70年代前半にあった「もの派」などの禁欲的な流れを引き継ぎながらどうやって色を復権させていくか、という当時の実験的な時代背景との関係性も興味深いお話でした。このシリーズは以降構図の一部に円や曲線が加えられていきます。
1983年に中上さんはアメリカに行かれており、その頃の作品では画面に大きくメタリックカラーが用いられています。以前はマチエールを否定されていたそうですが、アメリカから帰国後に描くようになったと話されていました。また、このメタリックカラーは作品の構成や手法の変化を伴いながら今日まで使い続けられています。
1986年に入ると、箔のようなマチエールが表れています。これはローラーで金の絵具を塗っているとのことで、本来ならばムラを付けないためのローラーであえてムラを出していると解説されていました。この年に制作された作品は、2004年に開催された東京国立近代美術館での「琳派 RIMPA」展に出品されています。レクチャーでの印象的なエピソードとしては、尾形光琳の紅白梅図屏風の「金箔」問題と関連した話が興味深いものでした。(2002年の調査では金箔ではなく、金泥を筆で箔のように描いていると鑑定され話題になっていましたが、2010年に再調査したところやはり金箔を使っていたという結果が報告されており現在も議論されています。)
また、この頃(実際にはこの2年前からとのこと)の作品には、額縁を横にして一辺だけ付けたような桟が付けられています。北澤先生との話によると、カンヴァスの側面部分を塗ることと同様に、絵画に物体性を与えるということ、人間の身体性の痕跡をなるべく残さない。絵画への危機感におそらく関与しているということです。
その後、年々変化していく作品の解説を交えながらレクチャーは進んでいきました。
1997年にソウルの国立現代美術館にて開催された「日本現代美術展」に出品された作品では、正方形や菱形の箔足は無くなり、新たな印象を感じさせられます。上方に伸びる金色の絵具は、筆もローラーも使わず、風を当てて描いているとのことで、材料を変えたことによる鱗状のマチエールも特徴的です。
さて、ブログの都合上紹介出来る内容も残り少なくなってきました。こちらはレクチャーの最後に解説して頂いた2015年の作品です。中上さんは「光」について尋ねられた際に、絵画について「光と空間」があれば絵画は成立するだろうと自分の中で考えているとお話されています。また、昔の若い頃は実験のようなことをやっていたが、途中からどこかで中学生や小学生の頃に「ああ、絵描きになりたいなあ」と考えていたところへ少しずつ戻っていくような思いがあるとも述べられていたのが、この作品と解説と重なるようでとても印象的でした。
今回の芸術表象論特講は、中上清さんという一人の作家による40年にも及ぶ作品の数々を90分の中に詰め込んだ非常に濃厚な内容でした。特に、当時の美術動向の時代背景を補足しながら、中上さんが作家として活動を始められた20代の頃の作品から解説して頂いたことは、聴講生にとって貴重な機会であったと思います。個人的には、中上さんの作品が少しずつ展開していくことについて話されていた中で「一遍にすべてを捨てるわけにはいかない」という言葉が、人間の成長や歩みを表しているようで、とても心に響きました。
中上さんが2008年に神奈川県近代美術館にておこなった個展「絵画から湧く光」の展覧会カタログは、本学図書館にも所蔵があります。また、毎年おこなわれるギャラリーでの個展のほか、各地の美術館への出品、東京国立近代美術館への収蔵もされていますので、ぜひ作品をご覧になってみてください。
中上さんは高校卒業後、1971年から横浜のBゼミ(現代美術ベーシック・ゼミナール)に通われており、その年の10月に富士見町アトリエにて初個展「中上清−−12の平面による−−」を開催し、作家としてデビューされています。
中上さんがデビューした次の年の展示風景 (1972年) |
壁面に沿って掛けられた三角形の作品(1974年) |
その後に中上さんは、斜めの線を繰り返し描いたドローイング作品を制作されています。1975年の横長の大きなドローイングは、アクリル板の裏側からダーマト(グリースペンシル)で描かれており、フレームとの関係を意識されています。
ドローイングのシリーズのひとつ 裏側から線を描く作品は、右利きのため画面を縦横90°回転させて描いたそうです。 |
カンヴァスに斜めの角度が付いた1979年の作品 神奈川県近代美術館での回顧展にも展示されています。 カンヴァスの側面も塗られており絵画の平面性や空間についても考えされられます。 |
色彩や構図が特徴的な1980年の作品 この構成は以前から試みていたそうです。 |
その後、中上さんは画面を三分割した特徴的な構図のシリーズを継続して制作されています。この作品は隣同士が補色になるように色が選ばれており、60年代から70年代前半にあった「もの派」などの禁欲的な流れを引き継ぎながらどうやって色を復権させていくか、という当時の実験的な時代背景との関係性も興味深いお話でした。このシリーズは以降構図の一部に円や曲線が加えられていきます。
画面中央に金色が大きく使われている1983年の作品 この辺りの作品はみんなメタリックが使われているとのことです。 |
1983年に中上さんはアメリカに行かれており、その頃の作品では画面に大きくメタリックカラーが用いられています。以前はマチエールを否定されていたそうですが、アメリカから帰国後に描くようになったと話されていました。また、このメタリックカラーは作品の構成や手法の変化を伴いながら今日まで使い続けられています。
1986年に入ると、箔のようなマチエールが表れています。これはローラーで金の絵具を塗っているとのことで、本来ならばムラを付けないためのローラーであえてムラを出していると解説されていました。この年に制作された作品は、2004年に開催された東京国立近代美術館での「琳派 RIMPA」展に出品されています。レクチャーでの印象的なエピソードとしては、尾形光琳の紅白梅図屏風の「金箔」問題と関連した話が興味深いものでした。(2002年の調査では金箔ではなく、金泥を筆で箔のように描いていると鑑定され話題になっていましたが、2010年に再調査したところやはり金箔を使っていたという結果が報告されており現在も議論されています。)
また、この頃(実際にはこの2年前からとのこと)の作品には、額縁を横にして一辺だけ付けたような桟が付けられています。北澤先生との話によると、カンヴァスの側面部分を塗ることと同様に、絵画に物体性を与えるということ、人間の身体性の痕跡をなるべく残さない。絵画への危機感におそらく関与しているということです。
その後、年々変化していく作品の解説を交えながらレクチャーは進んでいきました。
1997年にソウルの国立現代美術館にて開催された「日本現代美術展」に出品された作品では、正方形や菱形の箔足は無くなり、新たな印象を感じさせられます。上方に伸びる金色の絵具は、筆もローラーも使わず、風を当てて描いているとのことで、材料を変えたことによる鱗状のマチエールも特徴的です。
さて、ブログの都合上紹介出来る内容も残り少なくなってきました。こちらはレクチャーの最後に解説して頂いた2015年の作品です。中上さんは「光」について尋ねられた際に、絵画について「光と空間」があれば絵画は成立するだろうと自分の中で考えているとお話されています。また、昔の若い頃は実験のようなことをやっていたが、途中からどこかで中学生や小学生の頃に「ああ、絵描きになりたいなあ」と考えていたところへ少しずつ戻っていくような思いがあるとも述べられていたのが、この作品と解説と重なるようでとても印象的でした。
今回の芸術表象論特講は、中上清さんという一人の作家による40年にも及ぶ作品の数々を90分の中に詰め込んだ非常に濃厚な内容でした。特に、当時の美術動向の時代背景を補足しながら、中上さんが作家として活動を始められた20代の頃の作品から解説して頂いたことは、聴講生にとって貴重な機会であったと思います。個人的には、中上さんの作品が少しずつ展開していくことについて話されていた中で「一遍にすべてを捨てるわけにはいかない」という言葉が、人間の成長や歩みを表しているようで、とても心に響きました。
中上さんが2008年に神奈川県近代美術館にておこなった個展「絵画から湧く光」の展覧会カタログは、本学図書館にも所蔵があります。また、毎年おこなわれるギャラリーでの個展のほか、各地の美術館への出品、東京国立近代美術館への収蔵もされていますので、ぜひ作品をご覧になってみてください。
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