2014年12月11日木曜日

芸術表象論特講#22

こんにちは。夜になると街が色鮮やかな電飾で飾り付けられて、にぎやかです。
11月26日におこなわれました、「芸術表象論特講」22回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、美術史家の太田智己さんでした。



太田さんは、「美術全集の歴史」というタイトルでお話してくださいました。

図書館などで見かける「美術全集」ですが、日本で最初に出版されたのは、1927年から1930年にかけて刊行された平凡社の『世界美術全集』(全36巻)でした。それまでの美術史書が500~1000部の売り上げに対して、この『世界美術全集』は12万5000部という驚異的な数字を打ち出しました。
そもそも『世界美術全集』は、当時大流行した「円本」の一種でした。「円本」とは、1冊1円で発売された全集などで、1926年に改造社が刊行した『現代日本文学全集』が始まりとされています。価格だけではなく、新聞への大規模な宣伝広告などもあり、多くの人々が購入しました。
配本の方法も戦略的にとられていたと言います。『世界美術全集』の巻数は、古い年代順に設定されています。しかし、配本になるとその巻数順ではなく、読者受けがしそうな巻から配本されていました。つまり、第1回配本に第17巻「ルネサンスと東山時代」、第2回配本に第7巻「ビザンチン・印度グプタ朝・唐時代・新羅統一時代・白鳳時代」といったように、ばらばらでした。実はこの手法は現在でも使われています。
『世界美術全集』の読者ターゲットは「家庭」でした。宣伝広告にもやたらと「家庭」の文字がでてきます。家庭で『世界美術全集』を揃えて持つ、ということは、当時一般には持つことのできない「家宝」を所有することと等しいことでした。子や孫の代までこの全集を「家宝」として引き継がせてゆく・・・。『世界美術全集』は、当然美術作品の写真が掲載されています。写真は印刷物であり、今ではそんなに珍しくありませんが、当時は美術作品を見るということは、なかなか出来ないことでした。なぜなら、今のように多くの美術館が存在しておらず、そうした機会がなかったためです。全集を持つことは「家庭」で美術館を持つことが出来るという「家庭美術館構想」というのもひとつのコンセプトでありました。全集を買うことで、家庭の教養や趣味がレベルアップする。そうしたことは、一部のエリート家庭でしか育むことができなかったのですが、これが一般家庭でも出来るようになる。そして置いておく、つまり中身を見なくても、持っていることで見かけだけでもそう見える、ということもありました。

この『世界美術全集』における「家庭美術館構想」の美術の社会普及は、これ以後の美術全集における定型フォーマットとなりました。

1960年代から1980年代になると、美術全集ブームが起こりました。この時期は高度経済成長にあたり、一般家庭で電化製品をそろえ、人々の暮らしにもゆとりが出始めていました。そんなとき、美術館の建設ラッシュもあり、美術に関心が集まりました。
小学館から刊行された『原色日本の美術』(1966~72年)は全集の金字塔と呼ばれている全集なんだそうです。シリーズの展開をおこなうことでアップデートしていき、1990年には50万部に達しました。そして最初の『世界美術全集』が持っていたコンセプト「家庭美術館構想」を引き継ぐものでもありました。その後、学研から刊行された『日本美術全集』(1977~80年)も「家庭美術館構想」を引き継いでおり、専用の本棚がセット販売されたそうです。

美術全集による美術の社会普及を見てきましたが、それ以外にもあると太田さんはお話してくださいました。
まずは、ラジオによる美術番組です。現在ではテレビやインターネットがあるのが当たりまえですが、以前は各家庭にラジオがあり、これが大切な情報源のひとつでありました。ラジオ放送は1925年に開始。様々な番組がある中で、美術の番組も存在していたそうです。番組としては、美術作品に関する解説など美術に関する事柄が研究者や作家によって語られていたそうです。しかし、音の情報だけでは不十分なため、補助教材としてテキストも販売されていました。
美術全集は購入しないといけませんが、ラジオは偶発的にアクセスできるため、たまたま聞いたことで興味を持つことがあるなどの利点がありました。現在ではテレビが普及し、ラジオでは出来なかった視覚情報を伝えることが可能となりました。
もうひとつは、サブカルチャーです。例えば、大衆小説(円山応挙を題材にした「応挙の幽霊」)、講談(演者が主に歴史にちなんだ読み物を観衆に対して読み上げる伝統芸能)、ラジオドラマ、児童書(作家の一生を描いたもの。『狩野芳崖』とか)があります。現在は小説や漫画の題材としても見受けられます。

美術全集は1990年代から2000年代になると、家庭では購入できない価格となりました。それに、「家族」自体が変化しているため、家宝を持つというモデルが崩壊しました。その代わり、やさしくてすぐにわかる解説で、薄い書籍類が出回るようになりました。
テレビによる美術番組も、テレビ離れやネットの普及によって、かつてのような状態ではなくなっています。美術館や博物館による展覧会も苦境に立たされています。なのでこれからはサブカルチャーによる美術普及が良いのではないかと、太田さんはおっしゃしました。

図書館などで見た「美術全集」に、このような深い歴史があることは、とても驚きました。美術の歴史でも、少し違った見方が出来たのではないかと思います。


太田さんの情報はここで見れます。


それでは。

芸術表象論特講#21

こんにちは。いつもいる館から別の館へ移動するために外へ出るとき、今までは平気だったのが上着を着ないと寒くてしかたがありません。
11月19日におこなわれました、「芸術表象論特講」21回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、アーティストの田中功起さんと冨井大裕さんでした。

▲左から冨井さん、田中さん

2011年にCAMPで「アートを実践することについて」というトークイベントで、杉田先生、田中さん、冨井さん、奥村雄樹さん(アーティスト)の4人が参加しました。その際に続きをしようと話していたこともあり、今回のレクチャーにお招きしたと杉田先生がおっしゃっていました。(残念ながら、奥村さんは海外に行っているためお招きできませんでした。)

レクチャーとしては、杉田先生を交えて3人でのトークとなりました。ブログでは、はじめに田中さんと冨井さんによる活動紹介がおこなわましたので、そちらを中心に書きたいと思います。

冨井さんは、昨年まで芸術表象専攻の「アート・プラクティス演習ⅡB・C」という授業をご担当してくださっていました。
冨井さんの作品は主に立体物で、“日常のモノをそんなにあり方を変えずに見せる”というスタンスで制作しているそうです。
例えば、バケツとぞうきんを使って、その属性は変えずにバケツとぞうきんではないけど、バケツとぞうきんみたいな・・・・・。
最近では、慶応義塾大学アート・センターでショーケースのプロジェクトに参加しています。作品は消しゴム3個を組み合わせたものと、台座。105個あるけれど、どれが本物なのかということは次第にどうでもよくなって、1個が良いのかとかそういうレベルでもなくなる。では、私たちはいったい何を見ているのかということになる。そして、印刷物は記憶なのか何なのか。展示しているものは記録なのか、それとも現実なのか・・・・。
この展示では、告知するための印刷物を作っていないそうです。そうなると、はたして人が来ているのかわからないそうですが、稀に来て置いてある印刷物を見ると数が減っているので、その減る量で人数をカウントしているそうです。そこに置く印刷物は、置いていると次第にしなってしまってもピタッとなる特別な台座を作ってもらい設置しているとのことです。

実際の現場で展示をするという人の理想と、
印刷物は配布されてその役割が終わるのではない別の理想と、
展示は印刷物があることで人と会話ができているのか、現場のものではないと会話ができないのか、
展示の翻訳の問題であって、その辺のことをみんなでやっているという感じだとおっしゃいました。
立体の作品もしながら、それがどう受け取られるかということを、印刷物などの関わりから見ようとしていると、冨井さんはおっしゃっていました。

田中さんは、昨年のヴェネチア・ビエンナーレ日本代表(キュレーター蔵屋美香氏)として参加、特別表彰を授賞しました。また、2012年度の「芸術表象論特講」特別版にゲストとして来ていただいたことがありました。
最近の活動としては、ニューヨークで開催されたフリーズ(Frieze)のアートフェアにプロジェクトとして参加したそうです。アートフェアとは、通常ギャラリーの寄り合いみたいなもので、世界中のギャラリーが集まってブースを借りて作品を売るというシステムです。フリーズのアートフェアはロンドンから始まりました。フリーズは雑誌(同名の『Frieze』)を刊行しています。単に売り買いだけではどうだろうと思っているフリーズのディレクターたちが、ギャラリー・ブースとは別の独立したプロジェクトとしてキュレーターに企画を任せます。。これが田中さんが参加した、屋内外問わずの比較的自由にアーティストのプロジェクトを展開する「フリーズ・プロジェクト」です。
ランドールズ島の公園内に一時的に設置されたテントが、アートフェアの会場になります。田中さんはプロジェクトをおこなうにあたり、通常はアートフェアに来ないような、このランドールズ島にまつわるコミュニティとか、実際にそこで働いている人びとや歴史に関係する人を毎日一人ずつ呼べないかと考えました。
1日目、実際にランドールズ島にある消防士のためのアカデミーで教官をしている消防士を呼びました。彼には実際に現場に出ていたときの話やアカデミーでの話などを、会場の方にしてもらったそうです。
2日目、詩人を呼びました。彼女には詩人サミュエル・グリーンバーグの本に直接言葉を書き込みながらグリーンバーグの詩をリライトしてもらいました。グリーンバーグは、島にあった精神病院(現在ある精神病センターとは違う建物)で亡くなるまで詩を書き続けました。存命中の彼は無名でしたが、ハート・クレーンという詩人がグリーンバーグの詩を再構築し自分の詩として発表したことにより、名が知られるようになりました。
3日目、サックスプレイヤーの方を呼びました。フリーズの隣にあるスタジアムで、昔ジャズのコンサートがおこなわれていたそうです。1930年代に実際にあったコンサートの映像がYouTubeにあったので、その中の曲をサックスプレイヤーの方に吹いてもらおうとしました。しかし、主催者側からは、音を出すことに難色を示されたため、サックスプレイヤーの方には、サックスではなく口笛を吹いてもらったそうです。しかも、そのプレイヤーの方がとても口笛が上手だったとか・・・。1時間に1・2回ほど吹いてもらい、お客さんのなかには、彼の口笛につられていっしょに口笛を吹いた人もいたそうです。
4日目、実際に公園内を常日頃走っているランナーの方に来てもらいました。その方はランニングのインストラクターもしていて、この島でそうしたランニングのコミュニティに関わっています。会場内でストレッチをしてもらい、実際に会場の外を走ってもらいました。
5日目、公園課の職員で島の歴史をよく知っている方を呼びました。彼はこの島で20年ほど働いているそうです。彼も1日目の消防士の方と同じように、会場に来ていたお客さんに島の歴史、島のさまざまな施設や問題点などについて話したそうです。
田中さんは期間中、毎日朝から晩まで通い、その日のプロジェクトを撮影して編集して翌日会場に設置しているモニタで上映されていたそうです。お客さん全体の1割もプロジェクトに気づいていなかったと思うとおっしゃっていました。実際におこなわれた様子をまとめた映像も見させていただきました。このプロジェクトは、アートフェアという場がそもそも売り買いと社交がすべてであり、そこに別の目的をどうやったら入れられるか、という実験だったということです。そうした所に別の目的を持った存在がいるとどんな影響があるのか・・・・など、そういうことを考える場であったとおっしゃっていました。

レクチャー後半の3人でもトークは、田中さんのアートフェアから、自分たちの立ち位置のようなこと。大きなアート展覧会みたいのでおこなわれる、内側からの批判と外側からの感覚など・・・・。作品を作るということだけではなく、見せること、それがどのようになっているのか、自分たちはどう思うのかということを、お話ししてくださいました。






既成概念の展示という手法ではない、別の方法で表現を追求しようとしている2人のアーティストの活動から、彼らを取り巻くことについて、お話してくださいました。学生たちにとって、作品を制作するということだけではないことを、考えるきっかけになったのではないでしょうか。


田中さんのHPはこちら

冨井さんのHPはこちら


それでは。

2014年12月1日月曜日

芸術表象論特講#20

こんにちは。いちょう並木では、落ちたいちょうの葉に雨が降り注いで、さらに黄色が鮮やかに見えます。
11月12日におこなわれました、「芸術表象論特講」20回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、アーティストの増本泰斗さんでした。



増本さんは、東京工芸大学の写真学科出身なのですが、学生時代は、写真を撮らずに絵ばかり描いていたそうです。レクチャーでは、入学する前や在学中に描いていた絵を見せてくださいました。
学校の授業にあまり出ないで、グラフティばかりを描く日々。その頃は特にアーティストになる気はなく、現代美術にもあまり触れたことがなかったそうです。

大学院生の頃に、杉田先生が主宰しているart&riverbankで個展(注1)をおこなったことをきっかけに現代美術に触れるようになり、興味をもつようになったそうです。大きな転機となったのは、個展の次に参加したグループ展でした。もともと、ポルトガルのリスボンで開催する予定だった展覧会でしたが、現地の都合でキャンセルとなり、その代わりに日本で開催された展覧会(注2)でした。
そんなことがなければ考えることがなかったポルトガルについて、展示という機会を通じて考えたり、調べたりしながら、思いを馳せるようになり、次第に行った気になってきたといいます。実際に発表した作品も、行ってもいないのに行ったかのように架空の旅行をテーマにしたそうです。行ったつもりになって書いた日記。合成してつくった観光写真など。そのときの生活やおかれている状況をそのまま展示したかたちでした。
そうした経験は、ある意味における「適当」の良さ、美術における形式や文脈などの「枠組み」にこだわらない良さを感じたそうです。最初の個展ではミニマルな作品をかっちりと作る感じだったこともあり、正反対のやり方もあるのだと発見があったそうです。

大学院修了後は、MAUMAUS(注3)というインディペンデントのアート・スクールが主催するレジデンスを利用して実際にポルトガルのリスボンへ行くことになりました。当初は、ポルトガル語はおろか、英語も満足に話すことができなかったのですが、それでも積極的に話しかけていた増本さん。自分自身は相手にいっぱい話しかけてコミュニケーションが取れた気でいたけれど、周りからしたらこの人何言っているの・・・状態が1年間ぐらいは続いていたそうです。その頃につけていた作品としての絵日記を見せていただきました(注4)。コミュニケーション不全と、奇跡的に通じ合う瞬間を通して、異なる者やコトについて考えさせられる良い機会となったそうです。
また、ポルトガル滞在中の2007年は、ドクメンタとヴェネツア・ビエンナーレ、ミュンスター彫刻プロジェクトの3つの展覧会が同時に開催される特別な年だったそうです。日本料理屋のアルバイトだけで生計を立てていたので、あまりお金がなかったそうですが、どうにかしてでも行こうと思い、友人と一緒に、ヨーロッパ版の青春18切符のような1ヶ月フリーパスをベルリンの偽造チケット屋から購入し芸術祭を見る旅にでかけました。旅行自体は2週間ぐらいでしたが、有名な作家の作品だけでなく、同時代の雰囲気を感じることができたのが良かったそうです。

その後、日本へ帰国して2010年に京都へ移り住みます。京都では、ある物件の家賃を複数でシェアすることで集まっているアーティスト・コレクティブ「Collective Parasol(注5)」をはじめます。「まとめることをやめること」をポリシーに、やりたいと思う企画は、メンバーの承認や合意は必要なく、日程さえ合えば勝手に実施することができるというような集まりだったそうです。テート・モダンで開催された「No Soul For Sale(注6)」という展覧会にも呼ばれたりもしましたが、結局一年半ぐらいで物件を手放してしまいそのままCollective Parasolは解散しました。
また、京都の専門学校で非常勤講師をしているので、そこでの授業を記録して公開しています(注7)。授業という枠組みを使って、その時々に気になることを学生と一緒に考えながら実験したりしているそうです。例えば、戦争のイメージを別の角度から考えようとする授業(注8)や、原発作業員について身体的なアクションを通して考えようとする授業(注9)などを紹介いただきました。
さらに、増本さんのひいおばあ様がヒロシマの原子爆弾投下の際に、爆風で倒れてきた衣装箪笥の下敷きになった体験をもとにした「Protection(注10)」という作品の記録映像を見せてくださいました。
その他には、「予言と矛盾のアクロバット(注11)」という、「矛盾」と「直感」を大切するプラットフォームや、杉田先生と不定期に行っている実践「ピクニック(注12)」など、これまでの活動や継続中の活動についてもお話ししてくださいました。

グラフティを描いていた学生時代から、現在の活動に至るまでのいくつかの転機を見ていると、そこには、学生たちにとって作品と向き合うための、また別の可能性が示されていたのではないかと思います。



増本さんは、最近本を自費で出版されたそうです。こちらから購入できます。

その他、増本さんの詳しい活動については、HPなど下記URLなどで確認することが出来ます。


文中の注釈についてはこちらを参照ください。
(注1)最初の個展「All Notes Off」
https://plus.google.com/u/0/photos/101989624643088460124/albums/5827421502690253505

(注2)ポルトガルで開催するはずだった展覧会がキャンセルになったため日本で開催した展覧会
「do fim ao fim」
https://plus.google.com/u/0/photos/101989624643088460124/albums/5827422045562825601

(注3)MAUMAUS
http://www.maumaus.org/

(注4)ポルトガル生活の絵日記「Vinho da Casa de Banho」
https://plus.google.com/u/0/photos/101989624643088460124/albums/5630512897900413377

(注5)Collective Parasol
http://collective-parasol.blogspot.jp/

(注6)No Soul For Sale
https://plus.google.com/u/0/photos/101989624643088460124/albums/5821946749670134225

(注7)授業自体がひとつのアートの実践「Grêmio Recreativo Escola de Política」
http://gremiorecreativoescoladepolitica.org/

(注8)戦争のイメージを別の角度から考えようとする授業
https://vimeo.com/37885310

(注9)原発作業員について身体的なアクションを通して考えようとする授業
https://vimeo.com/109844456

(注10)Protection
https://vimeo.com/18836555

(注11)予言と矛盾のアクロバット
http://aaccrroobbaatt.com/

(注12)Picnic
https://www.facebook.com/pages/Picnic/259375414100782

それでは。