こんにちは。今年もあと1ヶ月となりました。
11月28日におこなわれました、「芸術表象論特講」16回目のレクチャーについて、少しご報告したいと思います。
今回のゲストは、日本画家の山本直彰氏でした。
山本氏は、愛知県立芸術大学の出身です。レクチャーでは、学生時代から山本氏に多大な影響を与えた、日本画家の片岡球子先生についてお話してくださいました。片岡先生は本学の名誉教授でもあります。
最初に歴史資料室よりお借りした、女子美100周年記念に作成された「先輩からのメッセージ」というVTRから、片岡先生のパートを(先生の話しているところを中心に)見ました。
片岡球子先生は1905年、北海道(札幌市)出身。1926年、女子美術学校つまり現在の女子美術大学を卒業しました。卒業後は画家として歩み始めますが、生計を立てるために横浜で小学校の先生をしながら制作活動をしていました。日本美術院展に10回連続で落選した後、1930年に初入選を果たします。当時、公募展に入選すれば作家として認められるものでしたので、10回連続で落選していた片岡先生には、みんな近づかないようにしていたといいます。
1967年、サンパウロ・ビエンナーレに出品。1975年、《面構》(前年の院展に出品)が日本芸術院恩賜賞を受賞。1989年には、文化勲章を受章しています。2008年、103歳で亡くなりました。
片岡先生と言えば、富士の作品や、歴史上の人物を主題とした面構(つらがまえ)シリーズが有名です。晩年は、裸婦シリーズを制作していたそうです。
片岡先生は、約40年間に渡り愛知県立芸術大学の先生として多くの学生を育て、その中に山本氏もいました。100歳になっても、タクシーで通っていたというのですから、驚きです。
「女子美の学生に片岡先生のことを知ってもらいたい」という山本氏は、片岡先生のエピソードをいろいろ語ってくださいました。
片岡先生から、「絵描きとは何かを身をもって知らされた」という山本氏。「絵を描くことは生半可なことではない」という言葉は、鋭く学生たちを射貫き、目覚めさせてくれたのではないでしょうか。
それでは。
11月28日におこなわれました、「芸術表象論特講」16回目のレクチャーについて、少しご報告したいと思います。
今回のゲストは、日本画家の山本直彰氏でした。
山本氏は、愛知県立芸術大学の出身です。レクチャーでは、学生時代から山本氏に多大な影響を与えた、日本画家の片岡球子先生についてお話してくださいました。片岡先生は本学の名誉教授でもあります。
最初に歴史資料室よりお借りした、女子美100周年記念に作成された「先輩からのメッセージ」というVTRから、片岡先生のパートを(先生の話しているところを中心に)見ました。
片岡球子先生は1905年、北海道(札幌市)出身。1926年、女子美術学校つまり現在の女子美術大学を卒業しました。卒業後は画家として歩み始めますが、生計を立てるために横浜で小学校の先生をしながら制作活動をしていました。日本美術院展に10回連続で落選した後、1930年に初入選を果たします。当時、公募展に入選すれば作家として認められるものでしたので、10回連続で落選していた片岡先生には、みんな近づかないようにしていたといいます。
1967年、サンパウロ・ビエンナーレに出品。1975年、《面構》(前年の院展に出品)が日本芸術院恩賜賞を受賞。1989年には、文化勲章を受章しています。2008年、103歳で亡くなりました。
片岡先生と言えば、富士の作品や、歴史上の人物を主題とした面構(つらがまえ)シリーズが有名です。晩年は、裸婦シリーズを制作していたそうです。
片岡先生は、約40年間に渡り愛知県立芸術大学の先生として多くの学生を育て、その中に山本氏もいました。100歳になっても、タクシーで通っていたというのですから、驚きです。
「女子美の学生に片岡先生のことを知ってもらいたい」という山本氏は、片岡先生のエピソードをいろいろ語ってくださいました。
▲片岡先生の作品について語る山本氏
片岡先生から、「絵描きとは何かを身をもって知らされた」という山本氏。「絵を描くことは生半可なことではない」という言葉は、鋭く学生たちを射貫き、目覚めさせてくれたのではないでしょうか。
それでは。
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