2015年2月23日月曜日

授業紹介:井上ゼミ

こんにちは。最近、大学の目の前にある麻溝公園の植木が新しくなっているのに気がつきました。
今回は、昨年実施した3年生の「芸術表象IDゼミ」(井上文雄先生)について、2人の学生にレポートしてもらいましたので、そちらをお届けいたします。

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▲右が百瀬文さん、左が堀内奈穂子さん

2月17日の井上文雄先生の授業では、NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]のキュレーターの堀内奈穂子さんとアーティストの百瀬文さんをゲストにお迎えしてお話を聞かせていただきました。
授業の前半ではお二人の活動について話していただき、後半では全員でディスカッションをしました。
堀内さんは現在キュレーターとして活躍されています。もともとは美術系の大学などに通われていたわけではなかったそうですが、スコットランドのエジンバラ・カレッジ・オブ・アートの院出身でいらっしゃいます。院生の頃から、かつて交番として使われていた構造物で一週間ギャラリーを開いたり、ジャズバーを会場に、参加アーティストが即興でパフォーマンスを行う一夜限りの展覧会など、さまざまな企画をされていたそうです。
百瀬さんは武蔵野美術大学の油絵コースを卒業されていて、3年生のころから絵を描くのではなくパフォーマンスをするようになったのだそうです。それを記録するためにビデオを使っていたため、作品は映像が多いようです。「声と身体」に深く関心を持っておられ、それをテーマとした作品を多く制作されています。
キュレーターとアーティストという異なる立場の方々のお話を同時に聞けたのはとても貴重な経験でした。また、今回の授業ではゲストのお二人だけでなく、他の授業の講師や作家の方々や学生にも参加していただき、後半の授業では全員で話し合いができたことも刺激になり、アートに関する様々なことだけでなく、自分の活動などについても考えるきっかけとなりました。

(前半担当:伊藤えみ)

▲ディスカッションの様子


2コマ目ではディスカッションをしました。まず、作品制作における暴力性について話しました。これについて百瀬文さんは、被写体と撮影者は対等にはなれず、強引さの自覚と情熱がないとやっていけない。そして、この人に見せたい、届けたいということが重要だとおっしゃっていました。それについて、被写体と撮影者は共犯関係のようなものなのではないかという意見が出ました。
次にアートと暴力について話しました。先に話したように、制作する上での暴力というのがあります。暴力とは否定的な感じがして、避けてしまう気がしますが、暴力そのものに魅力を感じ、惹かれることもあり、欲望してしまうこともあります。なので、暴力は時と場合によってはあってもいいのではないかという意見がありました。暴力は、暴力を受けている方が暴力だと思っているのだと思います。そして、いろんな人を巻き込んだとき、それは何かを奪ってしまっている、そういう暴力もあるという意見もありました。私は、この話をしているときに、最初に百瀬さんがおっしゃっていた強引さの自覚と情熱がないとやってはいられないということを思い出して納得していました。
さらに、アートは無罪であるということについても話しました。これは、アートだから許される、ということです。しかし、別に無罪になりたいわけではないという意見も出ました。これは許されるということが問題なのではなく、社会的に罪にとわれないということが重要な問題になると思いました。私はアーティストたちはこの問題をもっと考えるべきだと思いました。
この授業を通して、主にアートや暴力について話しました。あまり深く考えたことのない内容だったので、とても勉強になりました。そして、百瀬さんの被写体と撮影者は対等になれない、という話がとても印象に残りました。百瀬さんをはじめ、参加してくださったアーティストの方々の話も興味深く、また堀内さんのキュレーターという立場から様々な意見を聞くことができました。
今日の授業をこれからに、つなげられるようにしたいと思います。

(後半担当:毛利真紀)


堀内さんの所属されている
特定非営利活動法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]HPはこちら

百瀬さんのHPはこちら


それでは。



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