2015年11月25日に開催された「芸術表象論特講 #20」
今回は、女子美術大学図書館との共同企画により開催されました。
今回は、女子美術大学図書館との共同企画により開催されました。
ゲストは日本美術史研究者の亀井若菜さん、そしてブリュッケ編集者の橋本愛樹さんです。
亀井若菜さん(日本美術史研究者) |
橋本愛樹さん(ブリュッケ編集者) |
亀井若菜さんは2015年6月に『語り出す絵巻––「粉河寺縁起絵巻」「信貴山縁起絵巻」「掃墨物語絵巻」論』(以下『語り出す絵巻』)という本を、出版社ブリュッケから刊行されています。そのブリュッケをひとりで経営されており、唯一の編集者でもある橋本愛樹さんは、2012年に開催された芸術表象論特講 #17の際にも、ゲストとして来て頂いています。
今回のレクチャーでは、亀井さんが執筆した美術図書『語り出す絵巻』のなりたち、そして内容を中心に、亀井さん、橋本さん、そして本学の北澤憲昭先生の三名により、著者、編集者、読者、それぞれの視点から様々なお話をして頂きました。
この本が出た経緯として、刊行される前の年に、亀井さんから橋本さんへ「今こんなことを考えていて、それがもうすぐまとまるので、本にして頂けないか」という相談があったそうです。橋本さんは、ブリュッケを立ち上げて20年になるとのことですが、一人きりの個人出版社であるため、編集作業、校正作業も一人でこなすのは勿論、今回のように著者から企画を持ち掛けられた際には、その場で判断しなければならないと話されていました。
橋本さんは、12年前に『表象としての美術、言説としての美術史––室町将軍足利義晴と土佐光茂の絵画』という亀井さんの本を出しており、また、亀井さんの恩師であった美術史家の千野香織先生とは、橋本さんがこの業界に入った頃から交友があったそうです。お話の中で「14年前、千野さんが49歳で亡くなられた時に、千野さんの衣鉢を継ぐ人、千野さんのジェンダー論を継承していく人がいるのなら、無条件で出版しようと心に決めていた」と橋本さんが仰っていたのが印象的でした。勿論、橋本さんは亀井さんの日本美術史研究に対する姿勢も存知しており、こうした好条件が幾つか重なったことで、一も二もなく今回の出版に至ったとのことでした。
そして特に橋本さんが人に譲りたくないのは、挿図のレイアウトとのことで、著者の言いたいことに沿って四苦八苦しながら作業をするのが楽しみだそうです。しかし、今回の『語り出す絵巻』に関しては、すべて亀井さんがおこなってしまい、楽しみを奪われたと笑いながらも「さすがによく出来ていて感心し、ああ、なるほどなるほど、と納得して作業を楽しむことが出来た」とのことでした。また、北澤先生いわく、ブリュッケの本は大体本文からジャケットや帯へ引用や抜き書きが載るそうですが、それは編集者である橋本さんが、内容全てを何度も読み、ここぞという部分を抜き出してくれるそうです。「まず最初の読者として、編集者って非常にありがたい存在だといつも感じている」と話されていました。
亀井さんにとって2冊目の本となる『語り出す絵巻』は、三つの絵巻について語られており、これらは全て女性が主人公の絵巻です。「10年ちょっと掛けて全身全霊を込めてというぐらい一生懸命書いた」と話されており、その中でも特に「粉河寺縁起(こかわでらえんぎ)絵巻」について書きたかったとのことで、レクチャーでは時間が限られていることもあり、今回は主に「粉河寺縁起絵巻」についてお話をして頂きました。
「粉河寺縁起絵巻」には二つの話が収められており、第一話は、粉河で猟師が観音堂を立てる話。そして第二話は、河内国の長者の一人娘の病が粉河観音のおかげで病が治り、翌年、粉河の観音の前で、娘と一族の者が出家をしたという話です。
亀井さんは、2003年に奈良国立博物館で開催された「女性と仏教〜いのりとほほえみ」という展覧会で、初めて「粉河寺縁起絵巻」をじっくり見ることができ、「その時に、ふっと思ったことが、考えるきっかけだった」と話されていました。亀井さんは、この絵巻のことを以前から知っていましたが、実際に長いガラスケースの中に展示された第二話の絵を見ていると、主人公である女性の目立たない描かれ方、美しいと思えないような表現などに疑問が湧いたと言います。そして病気が治った娘とその一族が、いきなり出家をしてしまうことに対しても、このお金持ちの家はどうなるのだろう? と疑問に思われたそうです。亀井さんは女性やジェンダー研究に対する関心も強かったため、この絵巻について考えてみたいと思われたそうです。
これまでの研究では「粉河寺縁起絵巻」は、平安時代に後白河院が作ったものだとされていたそうです。しかし後白河院の視点から見ても、この絵巻の表現は生き生きとは見えてこない。そこで、鎌倉時代に高野山と領域争いをしていた粉河寺が作ったものではないか、という仮説を立てたそうです。そのような状況の中に絵巻を置いてみると、絵に描かれた様々な表現が、生き生きと意味をもって見えるものになるとされます。
では、「絵の様々な表現が、生き生きと見えてくる」とはどういう意味なのでしょうか? スライドを用いて、他の絵巻の中の表現と比べながら解説して頂いた内容から、少しだけ抜粋してみたいと思います。
『粉河寺縁起絵巻』 第3段 粉河寺蔵
(外部リンク:wikimedia commons)
第二話での病の娘の表現
まず、「粉河寺縁起絵巻」の病床に伏す長者の娘の表現に注目してみましょう。顔は苦痛にゆがみ、胸ははだけ、足先まで見える全身には赤い斑点で病気が表現されています。また、手前右と奥の看病をする侍女は、顔をしかめたり、笑うそぶりを見せたりしています。
亀井さんのお話では、こうした表現は、他の中世の絵巻における病気の表現と比べると、特別であることが分かるそうです。
亀井さんのお話では、こうした表現は、他の中世の絵巻における病気の表現と比べると、特別であることが分かるそうです。
『春日権現験記絵巻』 第9巻第2段 宮内庁三の丸尚三館蔵
大病を受けた都の貧しき女の表現との比較
「春日権現記絵巻」では貧しい家の妻が重い病にかかってしまい、自分が死ぬ前に息子を僧にしたいと願い、興福寺の僧の計らいにより息子の出家姿を見ることができたという話が語られています。この女性は瀕死の病人ですが、着物も白く綺麗で乱れていません。また、食べ物や飲み物も用意されており、世話をする人々も一生懸命見守っていて、貧しい身分でも尊重されて描かれています。
『桑実寺縁起絵巻』 上巻第2段 桑実寺蔵
病に伏せる天智天皇の娘 阿閇姫との比較
このように、これらの他の絵巻と見比べると、「粉河寺縁起絵巻」の病気の娘の表現は、特別であることが分かります。また、亀井さんの解説では、同じ「粉河寺縁起絵巻」の中で、娘が出家する時の姿と比べても、非常に対照的な表現になっているそうです。
『粉河寺縁起絵巻』 粉河寺蔵
第二話の中での長者の娘の表現の違い
第5段 出家する時に剃髪される場面 (外部リンク:wikimedia commons)
第3段 病に伏せている場面 (外部リンク:wikimedia commons)
「六道絵」十五幅のうちの「人道不浄相幅」 壊相 聖衆来迎寺蔵
現存する最古の九相図「人道不浄相幅」との比較
それに対して病気の娘は、「人道不浄相幅」の壊相の表現に近いと思えるそうです。これは「九相図」という死体が腐っていく様子を描いた仏教絵画で、現世の人の体が不浄なものということを意味しているそうです。亀井さんのお話では、他にも中世の九相図は色々残っていますが、見た限りでは、全て女の人の体で表されているそうです。これは、男性の仏教の修行僧に対して、女性はこんなに汚いのだから欲望や愛欲を持ってはいけない、という戒めの絵と言われているとのことでした。
さて、レクチャーの中で、亀井さんは「固有名詞が大事」と話されています。この病気の娘の父親については、絵巻の詞書に「河内国讃良郡に長者ありけり」とでてきます。そこで「河内国讃良」について調べたところ、「讃良荘の地頭職が承久3年(1221年)以降、高野山の僧のものとなる」ということが分かったそうです。そうであるなら、承久3年以降であれば、「讃良郡の長者」が「高野山領の長者」であると考えることが可能になります。
そして、もう一つの歴史的な史実として、粉河寺は13世紀前半から高野山と領地の境を巡って争っていたことから、その高野山領であろうと思われる讃良の長者の娘は、粉河寺が実際に敵対していた高野山の領地の娘、つまり敵側の長者の娘と考える事が出来るそうです。このように考えると、粉河と長者の家が対照的に描かれている理由や、娘が高野山領の父の在所で病気に伏せているときはひどい姿で、粉河に来ると美しい姿で描かれている理由も推測できます。また、亀井さんはこうして敵を貶めるのにその家の女性を酷い姿に描いて表現している=女性像を使って表しているということが、ジェンダー研究の視点から面白いと話されていました。
最後に、お知らせをするのが遅くなりましたが、亀井若菜さんの『語り出す絵巻』は平成27年度の芸術選奨 評論等部門にて、文部科学大臣賞を受賞されました。本学の大学図書館にも所蔵がありますので、皆さんにぜひ読んで頂ければと思います。
----執筆 芸術表象専攻研究室 齊藤