2014年9月22日月曜日

芸術表象論特講#15

こんにちは。残暑が厳しい中、大学は9月の2週目から後期授業が始まりました。学生たちにとって夏休みは、あっという間だったかもしれません。
9月10日におこなわれました、「芸術表象論特講」15回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、依田徹さん(日本美術史家)でした。



依田さんは東京藝術大学大学院博士課程を修了した後、さいたま市に採用されました。そこで学芸員として、さいたま市大宮盆栽美術館の立ち上げに関わり、3年半ほど勤務されていました。
今回のレクチャーでは、さいたま市大宮盆栽美術館についてお話していただきました。

盆栽美術館は、さいたま市が平成22年に開館した、盆栽を中心とした美術館です。名前の通り主な美術品は盆栽です。地場産業を観光資源として活用しようと誕生した施設です。
現在のさいたま市は、平成13年に浦和市・大宮市・与野市が合併、平成17年に岩槻市を編入して現在の形になりました。旧大宮市には昔、盆栽村というのがありました。現在は北区の盆栽町となっています。
そもそも、盆栽の職人は東京周辺にいました。もともと江戸の名残が東京にありましたが、震災によってそれが破壊されてしまいました。そして関東大震災後の復興による都市計画で、東京を近代都市化させる中で、盆栽園の居場所がなくなりました。盆栽園は広い土地ときれいな空気・水がなければなりません。そうして、震災の翌年に、巣鴨にあった盆栽屋の大手のひとつが大宮の北側に引っ越してきます。そのあたりの土地を借用して開拓し、盆栽家の愛好家が集まる自治村として変えていきます。最盛期には30件以上あった盆栽園ですが、現在では6件程になりました。盆栽の愛好家たちには、聖地として呼ばれています。盆栽町の難しいところは、高級住宅街へと変貌してしまったことで、地価が高くなっていることです。埼玉県内でも屈指の高級住宅街といわれます。

現在のさいたま市は、政令指定都市であり、東京のベッドタウンとして栄えていますが、観光資源はほとんどありません。昔、秋葉原にあった交通博物館を旧大宮市に誘致するなどしていますが、その場所だけで活性化はしません。そこで、前の市長が大宮に盆栽美術館、岩槻に人形会館(仮)を作る計画を立てました。
盆栽美術館は、当初「盆栽関連施設」としての計画で、コレクションを持たない、展示場的な施設でした。その計画途中で、市ヶ谷にあった「髙木盆栽美術館」のコレクションを購入することになり、コレクションを持つ美術館へと変更します。そこから、設計が進んでいたところを、美術館へ変更しました。

美術館としているので、所蔵品の調査研究をしなければなりません。それが学芸員の仕事でもあります。盆栽はどのような調査をするかというと、来歴を調べることから始まります。資料としては、盆栽の雑誌は明治30年頃に発行されたものがあります。そうしたところからデータを収集。また、盆栽の展覧会は昭和9年から始まっているので、そこからも情報を探します。売り立てのカタログも存在しますから、そうしたところからも調査をおこないます。
収集した過去のデータにある盆栽の写真と、現在の盆栽を見比べて、何がどの盆栽かを調べます。しかし、生き物である盆栽は、年月と共に形も変わっているはずです。見分けられるのか疑問でしたが、依田さんがおっしゃるには、重要なポイントは根元なのだそうです。上の部分(葉や枝とか)は変わっていくけれど、根元はあまり変わらないのだそうです。
また、盆栽の鉢の年代も調べることもしました。しかし、先行研究がありません。日本国内のものならなんとかなったそうですが、中国製となると難しかったそうです。

依田さんは、盆栽美術館の展示品をいくつか見せて、解説してくださいました。

盆栽美術館というので、盆栽は果たして美術なのかという点について、美術だと無理に言わなくても良いのではないかと思っていると、依田さんはおっしゃいました。
そして、盆栽は日本文化かというと、江戸後期に生まれた「盆栽」は、中国趣味の人達が中国から輸入してきた鉢に盆栽を入れることで、現在の形が出来たので、盆栽は中国趣味に属していました。それが昭和になり、盆栽は国風主義だということに乗り換えがおこります
美術かどうかというよりも、盆栽という文化があり、それを日本人は長年楽しんできたということが重要なのではないかと思っていると、依田さんはおっしゃっていました。


盆栽美術館の立ち上げを通して、美術館を作るのは難しいということをお話ししていただきました。また、盆栽という特殊なものを扱う難しさも同時にありました。学芸員資格取得を目指している学生は、現場の状況を垣間みることができたのではないでしょうか。


そんな盆栽美術館についてはこちら(さいたま市大宮盆栽美術館)

依田さんが執筆された書籍がありますので、こちらも是非ご覧下さい(Amazon)
『盆栽の誕生』

『近代の「美術」と茶の湯 言葉と人とモノ』(平成25年度 茶道文化学術奨励賞)



それでは。

2014年8月28日木曜日

芸術表象論特講#14

こんにちは。急に肌寒くなって、あの暑い日はどこへ行ってしまったのでしょうか・・・。
7月23日におこなわれました、「芸術表象論特講」14回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、アーティストで本学准教授の大森悟先生でした。



大森先生は、洋画専攻の先生です。
これまでの作品を中心に、お話してくださいました。

小さい頃にオタマジャクシをこっそり飼育しようとして、冷凍庫に隠していたところ凍ってしまった。しかし取り出し解凍されると、泳ぎだしたそうです。どうやら、仮死状態になっていたようでした。もしかして、凍らせたりすると、ずっと生きながらえるのかな・・・と思ったそうです。
そんなエピソードから始まったレクチャーですが、これは、後に作品と関連していました。
冷凍庫の中に桜の花と青い鳥が冷凍保存され、照明で照らされています。「桜の花」は、別の作品にも使われているモチーフです。
桜は鑑賞の仕方が、他の花などの植物とは違っているとおっしゃいました。普段、花とかを見る場合には、少し離れたり横から見たりします。しかし、桜は不思議と下に入り込んで見る。見ているのは桜だけではなく、その後ろに広がる空も見ています。昼間だと青空で逆行になり花がかげるが、夜になると花はちょっとずつ白く感じるときもある。またあるとき、ふと桜が5枚の花びらをつけたまま、ぐるぐると回転しながら落ちてきた。どうも鳥がついばんだために落ちたようですが、それを見て、その形が面白いなと思い、花びらを収集して押花を作り始めます。結構しつこく作っていると、今度は量が欲しくなる。しかし収集している数では間に合わないので、夜に取りに行くようになります。暗いなかで収集していると、暗い地面に桜が浮いているように見え、それはまるで水面に漂う花のように見えたそうです。空を背景にした状況と地面のそれぞれの暗さに浮かぶ桜の状況が対になり、垂直の不思議な感覚に襲われたそうです。これらのことがヒントになり、作品の制作に影響していきます。

もうひとつ、作品に影響したことがありました。それは、大森先生の身内が亡くなったことでした。亡くなられた方に対して作品を見せようとして制作してきたことに気づいたため、作品を作る目的がなくなってしまい、どうしたらいいのか、わからなくなってしまったそうでした。しかし、絵を描くことで助けられたのだそうです。

また昨年は、上海にある女子美のギャラリーで展示をしたそうです。
その時は、現地で調達した梱包材(プチプチ)を繋ぎ合わせスクリーンのようにし、そこにグリーンレーザー水平器からの光を照射しました。梱包材は、もともとは日本で提供してもらったものを持って行くつもりでいたそうですが、それが叶わず、やむを得ずに現地調達したそうです。中国の梱包材は日本のものとは違って、空気が入っている部分が柔らかく、一度きりの使用にしか耐えられないものでした。繋ぎ合わせた梱包材は風にゆらされ、照射された光が波のように動きます。作品を写真で見せてくださいましたが、写真ではグリーンの線状のものが会場にあるように写っているのですが、実際には梱包材の空気の部分が一つひとつキラキラ光っていたそうです。とても不思議な空間になっており、1時間くらいずーっと見ている人もいたそうです。

グリーンレーザー水平器の他の作品としては、同じく昨年、銀座のギャラリーで開催されたものがあります。ギャラリーの少し高めの位置に、鏡を同じ間隔で並べていき、その鏡にグリーンレーザーを照射します。一見すると、ぐるーっとグリーンの線に囲まれているようになるそうです。どうなっているのかと鏡を覗き込もうとすると、向こう側にも鏡がありそれが映って見えます。さらに、光源がわからないように、光の中に埋もれるかのように計算して設置してあるために、どこから光が来ているのかわからない。それ以外に何もない、けれど何かあるということを感じる空間になっているそうです。大森先生は、星の輝きを見ていることと同じことを再現しており、光は私たちに見えるまでに時間のずれがあるということを体験する空間にしている。今と過去と未来を繋いでいる、時間の問題を表現されているとおっしゃっていました。

他のグリーンレーザーの作品や、博士課程の修了制作も見せていただきました。
普段、特に洋画専攻以外の学生は先生の作品などに触れる機会がすくないため、新鮮だっとと思います。大森先生の作品は空間そのものも作品のひとつであることから、次回展示があるときにはこのレクチャーを思い出すと、より先生がおっしゃっていたことが深まるのではないでしょうか。


ここから、作品の一部を映像で見ることができます。

大森先生のレクチャーをもちまして、前期は終了致しました。次回は後期、9月に入ってからとなります。それでは。

芸術表象論特講#13

こんにちは。大学は、短い夏休みの真っ只中です。
7月16日におこなわれました、「芸術表象論特講」13回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、演劇ユニットの二十二会でした。

▲左から渡辺さん、遠藤さん

二十二会は、遠藤麻衣さんと渡辺美帆子さんによる演劇ユニットです。昨年の春頃から活動を始めました。

遠藤さんは、東京藝術大学の学部時代は油画専攻に所属し、大学院では美術研究科壁画第一中村政人研究室に所属されていました。大学1年生の時から先端芸術表現科の同級生たちと一緒に、劇団200億を立ち上げました。学部を卒業して大学院へ進学したころから、個人制作していたものがパフォーマンスの形態へ変化したそうです。遠藤さんが演技を始めたのは、演技をするというのは、演技をしようとしている対象の人に自分が近づく行為であり、その人の気持ちなどを外から見るのではなく、その人の内側に入って行って親密になりたい・・・。そういうところからきているとおっしゃっていました。大学院を修了し、渡辺さんとこの演劇ユニットを立ち上げました。

渡辺さんは、日本大学芸術学部演劇学科演出コースを卒業されています。翻訳劇を中心におこなってきていたある日、台本を使わなくても、今、私たちが暮らしている私たちの声を演劇として舞台にあげるにはどうしたらいいのか、と考えるようになり、そこから翻訳劇ではない演劇の形を模索します。そして考えた作品に出演したのが、遠藤さんでした。
このことがきっかけで、2人は二十二会を結成することになります。
具体的には、2013年3月くらいにあったフェスティバル東京の公演プログラムの募集に出してみようというのが、結成のきっかけなんだそうです。一次審査は通過しましたが、最終審査で惜しくも落選してしまったとのことです。

同じ2013年、BankARTのレジデンスプログラム企画「Artist in Residence OPEN SUTUDIO 2013」に参加し、その成果として《目に殴られた》という作品を公開しました。この作品は、お客さん1人のための演劇作品となっており、役者がいるけれど見ることが出来ない・・・いわゆる演劇作品というものではなかったそうです。この作品は、演劇を鑑賞する構造の中で、視野や視覚というものが自覚的であったり無自覚的であったり、どういうことになっているのか、ということをそこだけ抜き出して見てみたいと思ったのが動機なんだそうです。渡辺さんは、演劇を見に行ったときにどうしてもつまらない作品に出会ってしまったとき、楽しく見るコツを編み出しました。それは、俳優の膝から下しか見ないようにすることです。そうすることで、どんなにつまらないお芝居であっても楽しく感じられるようになるのだとか。その経験も、《目に殴られた》の作品を作る際に含まれたそうです。

《へんなうごきサイファー》は3月に開催された「北千住フライングオーケストラ 縁日」にて上演された作品です。これは、教室で実演していただきました。2人が、自身の体のいたるところに大小の鏡をテープで貼付けています。そして、それぞれが互いの鏡に写ろうと様々な動きをします。二十二会の2人がおこなった後、学生たちも持参した鏡を体に貼付けてやってみました。

二十二会は結成以後、お客さんに参加してもらう作品が多く、演劇はお客さんに見てもらうものが多いものとされながら、そういう作品を作ってきていません。こうしたとき、お客さんに見てもらえる作品は何だろうと考えたとき、ずっと見ていられる、見応えのある体とは何だろうと考えたそうです。今は物理的に体には外圧がかかっていて、そして時間軸の中である切り取られた部分だけをお客さんに開示されるのだけれど、そのせいで切り取られた前後の文脈はわからなくなっている。そのわからない前後の文脈に想像力が働く状態が、見応えのある状態になるのではないかと、おっしゃっていました。

今後は、鏡を使い、ダンスの作品や見応えのある体についても考えていきたいとのことでした。

最後に、「違う人の化粧品を使ってみる」というワークショップを実施しました。事前に学生たちには、自分が日頃使っている化粧品を持ってくるという指示が出ていました。6名の学生たちが2人ペアになって、互いの化粧品で化粧をするということをしてもらいました。周りにいた学生にも遠藤さんがペアを決めてやってもらいました。もちろん、二十二会の2人も参加していました。



演劇といえば、役者がいて彼らが演じているのを客席で見るスタイルを思いがちです。しかし、二十二会の2人がおこなっているのは、そうしたスタイルではない演劇でした。表現をするということは、固定された何かだけではなく、疑問を持って新しく作り出すことも大切であることを、学生たちは感じ取ったのではないでしょうか。今度は、実際に作品を見に行って欲しいと思います。


二十二会のイベントなどは、こちらから確認できます。
二十二会Facebook

遠藤麻衣さんHP

渡辺美帆子さんHP


それでは。

2014年7月28日月曜日

芸術表象論特講#12

こんにちは。暑い毎日で、水分補給に気をつけています。
7月9日におこなわれました、「芸術表象論特講」12回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、美術制作家の市川裕司さんでした。



市川さんは、多摩美術大学大学院日本画領域を修了された後、そのまま副手・助手として6年間日本画研究室に勤務されていました。今回のレクチャーでは、学生の頃の作品から、1年間行っていた海外研修についてお話ししてくださいました。
現在も埼玉県に住んでいる市川さん。学生の頃は、大学まで2時間かけて通学されていたそうです。学生の頃の作品には、通学途中で見る景観を作品に取り入れることが多かったようでした。始めは写生的な表現でしたが、4年生頃になると次第に抽象性が増し、卒業制作は抽象であることを強く自覚して制作されたそうです。画面を構成する要素を物理的な質に置き換えるという試みから、材質に対する興味が急速に深まっていきます。

大学院へ進学し、徐々に現在の作風に近づいていきます。
助手として勤務されていた頃、コバヤシ画廊で展示がしたいために、10mある作品を制作。業務が終了した後、校内の一部を利用して写真を撮影。10時間かけて撮影したため、終わる頃には朝になっていたそうです。コバヤシ画廊でプレゼンテーションし、念願の展示をおこなったそうですが、このときに展示した作品はまた別に制作したものであり、校内で撮影した作品は写真撮影のみで、実際にどこかで展示することはしなかったそうです。

2012年、五島記念文化賞美術新人賞を受賞し、同年729日から、ドイツのデュッセルドルフへ1年間、五島記念文化財団の助成を得て研修に行っていました。レクチャーでは滞在中の日記をもとに、いろいろとお話してくださいました。

市川さんはこれまで旅行など含め国外へ渡った経験が全くなく、この研修が初めてであり、そのまま長期滞在することになったそうです。渡航のスケジュールは自分で決められるようになっており、また受け入れ先も自分で決めることが出来るそうです。市川さんがドイツを選んだ理由としては、制作している作品は日本画を経緯に持っていながら、現代美術にも足を踏み入れている。海外に行くならば現代美術が元気な場所が良いと思い、いろいろ調べてドイツに決めたそうです。日本で作り上げてきたあらゆるしがらみを一度断ち、今までの自分とはまったく違う組み立て方が出来るという場所でスタートしたいとも思っていたそうです。
始めの1ヶ月は、ドイツ語の勉強のために語学学校の寮に滞在しました。日本では蓄積のあった英語をのばすことに徹し、ドイツ語の勉強はあまりしていなかったそうです。
最初に制作したのは、ビールの王冠をビール瓶の中に封入した取り組みでした。ドイツはビール大国です。日本では缶ビールですが、ドイツは瓶が主流のようで、リサイクルのために瓶をお店に持って行くと、換金してくれるシステムがあります。しかし、瓶の蓋として付いている王冠はそういったリサイクルの対象から外れているため、道のいたるところに落ちているそうです。瓶を大事にする一方で、ぞんざいに扱われるこの王冠に対して、文化の見落しを感じたそうです。そしてこれがひとつのアートにならないかと拾い集めたところから制作に至ったとのことでした。

国外に渡ることにあたって市川さんの中には、境界線への問題意識がありました。日本は島国なので、他国と地続きになっておらず隔離されたイメージがあります。しかし、ドイツなど大陸に属する国では、国同士を隔てた境界線がずっと身近に存在しており、他人(他国)との距離がどうあるのか注目していました。
そして市川さんはドイツに来た当日、夜明け前に滞在した部屋の窓に一枚の箔を押すことで自身と外界の境界線を意識させるという行為を、渡航におけるセレモニーとしておこないました。


それ以後も、滞在中は境界線というテーマを市川さんは意識し続けます。
その問題のひとつとして、ドイツの多くの家屋に使用されて、自然と人の生活を仕切るレンガに着目します。ある日、公園でレンガを粉砕する作業をおこなっていたところ、警察の尋問にあってしまったそうです。どうも作業をしていた場所が、よく麻薬の取引に使用されている場所であって、白昼堂々と粉体を作っている様に疑いをかけられたらしいのです。その時事情を知らなかった市川さんは、一生懸命に自分たちはアーティストでこうして絵の具を作っているんだ・・・というふうに説明して、なんとか納得してもらったそうでした。結局、30種類の顔料を作り上げたそうです。


学生時代からどう表現が変わっていったのか、とても丁寧にお話していただきました。また、助成を得て滞在した研修の様子も、当時の写真を踏まえて詳しくお話していただきました。研修に行くまで国外へ行ったことがなかったのに、いきなりドイツへ長期滞在するのは、すごいことだと驚きました。1人の表現者が、どのようにその表現に変化がおきたのか、学生にとって、とても刺激になったのではないでしょうか。


市川さんの作品などは、こちらから見ることができます。


それでは。

2014年7月22日火曜日

芸術表象論特講#11

こんにちは。大学に住んでいたツバメたちが巣だってしまい、なんだかさみしいです。
7月2日におこなわれました、「芸術表象論特講」11回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、神奈川芸術文化財団学芸員の中野仁詞さんでした。



中野さんは、先日発表された2015年開催の第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の指名コンペティションにて日本館キュレーターに選出されました。レクチャーでは、ヴェネチア・ビエンナーレのコンペティションだけではなくこれまでの活動も含めてお話してくださいました。

中野さんは1999年から神奈川芸術文化財団に勤務しています。それ以前は、そごう美術館に勤務されていたそうです。演劇部門を担当した後、神奈川県立音楽堂で音楽事業制作を経て、2006年より県民ホールギャラリーを担当。初めての現代美術の展覧会企画は、塩田千春さんの個展「沈黙から」(2007)でした。塩田さんといえば、沢山の糸を空間に張り巡らすインスタレーション作品などがあります。もともと、音楽堂で勤務をしていた頃、塩田さんの美術作品と文楽を用いてシンプルなオペラ形式の演目をおこなえないかと、塩田さんと一緒に考えていました。その後、企画を進めていく中で県民ホールギャラリーへ転属となります。場所は変わってしまいましたが、美術の分野で何かできないかと考えたのが個展だったそうです。この展覧会のお手伝いとして、女子美生が関わることになります。きっかけは、年に1回開催される神奈川県美術展という大規模な公募展でした。その搬入に女子美の立体アートの学生たちがトラックでやって来たので、知り合いの非常勤講師の方に協力をお願いして先生に引き合わせてもらい、立体アートの学生を中心に展覧会を手伝ってもらったそうです。この展覧会以降、女子美の学生が企画展のお手伝いをさせていただくようになりました。参加学生の中には、毎年参加する学生もいたそうです。県民ホールギャラリーで企画展をおこなうときは、舞台の美術さんや大道具さんといった方々と展覧会を作り上げるそうです。パフォーミングアーツの世界では、会場を1日単位で利用することが多くあります。そのため、限られた時間の中で、トラックで資材を会場へ運送し、大道具を組み立てて、公演が終わればそれをばらしてトラックへ積み込まなくてはなりません。こういった経験を積んだ舞台の方々は、段取りの組み方が非常に上手く、また現代作家の要望に応えようとする柔軟さがあるそうです。

ヴェネチア・ビエンナーレのコンペティションについて、参加の経緯や、企画などもお話してくださいました。
ヴェネチア・ビエンナーレは、イタリアのヴェネチアで開催される芸術の祭典です。音楽、映画、演劇、建築、美術といった部門に分かれています。日本が美術展に公式に参加するようになったのは、1952年からです。展覧会は各国で所有している建物に展示をします(ただし、所有していない国もあります)。日本館のキュレーターを決めるのは、国際交流基金です。
国際交流基金には、国際展事業委員会というのがあります。まず、委員6名が選んだキュレーターに対して、「コンペ参加者に選出されましたので○月○日までに企画書を提出してください」と連絡が届くそうです。その企画書は、2ヶ月ほどで作成しなくてはならず、企画を作る時に時間をかける中野さんは、とても大変だったそうです。自分以外に誰が選出されたのかは伏せられており、プレゼンテーションの際も他のキュレーターとの時間をずらすなどされ、最終結果が出るまで極秘事項となっていました。中野さんと塩田さんは、誰が選出されているかを想像しあったそうです。

中野さんは、短い期間で企画を考えなければならない状況で作家を選ぶとき、付き合いが長くてお互いがわかり合えている人とやりたいと思ったそうです。作家とキュレーターの関係は、得意とするところとそうではないところ、お互いが補填し合うことが大事だそうです。展示空間をどう捉えているかも作家とキュレーターでは違うので、お互いが十分に話し合ってやっていくのが重要だとおっしゃっていました。それに合っていたのが、塩田千春さんだったようです。

提示した企画「《掌の鍵》- The Key in the Hand-」展は、鍵と赤い糸を用いたインスタレーションとなっています。
作品の根底には「人とのつながり」があります。今回は、震災の後ということもあり、塩田さんのテーマである「人とのつながり」と、「生と死」をコンセプトに展覧会を企画されました。震災を経た現在、「生と死」となると、「死」ばかりに注目されたり、暗い部分が強調されてしまうのではないかという懸念がありました。しかし、塩田さん自身が身近な人を亡くしているということもあり、「死」の体験をバネに「生」を感じることのできる力強い作品に出来るのではないか。赤い糸も、暗いイメージだけでなく、「人とのつながり」を表すモチーフになるのではないかと考えたそうです。
実際には、天井から大量の赤い糸を吊り下げて、その先に人が使っていた鍵を結びつけます。下には私たちの掌を表した2艘の舟があり、天からそそがれる温もりや記憶をもった大切な鍵を受け止めます。鍵を受け止めた舟は記憶の中を進んで行きます。地下のピロティには、子どもの手が鍵を持った写真と、幼い子どもたちに生れてくるときの話を尋ねた映像を投映する予定だそうです。地下のこれから記憶を積み重ねて行く子どもたちが、1階の数多の記憶を支えているということを表現しているのだそうです。


今回のレクチャーで、空間に囚われず作家の作品の持ち味を引き出すキュレーターの仕事を垣間見れたのではないでしょうか。来年のヴェネチア・ビエンナーレが楽しみです。現地に行ける学生は、是非その眼で見て体感してもらいたいと思います。



公益法人 神奈川芸術文化財団

ヴェネチア・ビエンナーレについて詳しいことはこちら
国際交流基金
※実際にコンペティションに提出した企画書(全選出者分)が公開されています。

「《掌の鍵》- The Key in the Hand-」展で使用する鍵を集めています。
※不要になった鍵に限ります。詳しくはこちらでご確認ください。

それでは。